参観日(1)とのタイトルでブログUPしてから、参観日(2)を書こうと何度もPCと向かい合いましたが、
中々言葉が選べず時間が経ってしまいました。
いろいろな思いや感情もあるとは思いますが、私たちが感じた事をお伝えしようと思います。
* * *
Kaiの特別支援学校で授業参観の後、保護者・先生への研修会が開かれました。
テーマは
「災害時に障がい者を守るために」
少し重いテーマに内容はなんとなく想像はできたものの、
長い年月障がいのある子どもを育てている私たちにとっても辛い内容でした。
宮城県気仙沼市の就労移行事業所
「ワークショップひまわり」の施設職員の方のお話・・・。
平成23年4月1日に新事業所を開設予定で、菓子製造作業室には新しい製パン機械を全て設置し、
菓子や製パンの製造練習も開始していた矢先に起った地震・津波。
新事業所は津波と火事で全壊し、残ったのは鉄の残骸だけでした。
利用者さんと施設職員でなんとか避難所の体育館に逃げた震災当日の夜の出来事です。
地域の方々も命からがら逃げてきて不安と恐怖の夜・・・
当然施設利用者さんもいつもと違う環境や大勢の避難者の中で不安定な気持ちになったのでしょうね。
落ち着かない人、声を出す人、パニックを起こす人、
止めようにも収まらない感情を吐き出す利用者さんたち。
身内の安否も判らず心の余裕もなくなっている地域の方々。
そんなマイナスの状態とマイナスの気持ちが合わさって言われた言葉は「今すぐ出て行ってくれ!」
夜中の1時過ぎにも関わらず放たれたその言葉からは相手のもう限界だ!という気持ちが伝わります。
小さな子や老人、病人の方もいたかもしれない。
そして全ての人が追い込まれた状況の中絞り出されたであろう言葉は、
障がいのある子どもを育てている私でさえ少し判るような気がします。
辛くて悲しい事だけれども・・・判るような気がしました。
真夜中に外に出ても寒くて暗い。
同じ体育館の中にある会議室を使わせてほしいと施設職員が懇願するも、
行政は
「冷やかな平等」を口にする。
「そこは緊急用に確保しているスペースなので無理です」と。
行政にとって真夜中に避難所から追い出された障がい者の居場所がないという状況は緊急じゃないらしい。
行政に携わる全ての人が↑ こうではないのだろうが、あまりにも切ない・・・。
どうにかこうにか行政担当者を説得し、救援物資も届いていない一夜を会議室で身を寄せ合って過ごしたそうです。
通所の施設なので寝具などもなく、持ち出してこれたのは利用者さんの薬だけ・・・。
翌日被災しなかった方のひまわり事業所へ移動するが、
正式に避難所となっていない小さな場所へは救援物資も届かない。
施設職員の方が役所に救援物資のお願いをしに行くが
「何故あの体育館の避難所じゃダメなんですか?あそこなら救援物資も届きますよ」と。
(まったく役所ってやつは・・・)
・・・・・・まぁ役所の方の理由も判りますけどね。
きっとまとまった所に避難していてくれた方が物資も届けやすいのでしょうね。
救援物資を仕分けたり、届ける人も不足していたでしょうからね。
でも、あの体育館に避難し続ける事が正解だったのでしょうか?
その後幸いにもネットの繋がりで小さな避難所にも救援物資や薬を届けてもらう事ができたそうです。
施設職員の繋がりで出来た
「暖かな不平等」ですね。
あんな大災害を誰も予想していなくて、準備もしていなくて、
いろいろな問題や悲しみを経験してきた施設職員の方は言っていました。
追い込まれた状況では親・兄弟でさえ避難所での障がい理解は困難だったと。
全ての人が被災者である避難所の中で、周りに気を使い気力がどんどん擦り減っていく・・・。
そんな時に必要なのはやはり
「福祉避難所」であると。
全てが変わってしまった現況の中で変わらない時間や空間を提供する事だと。
そりゃあ生活弱者への理解を得る事も大切なのだろうし、余裕がある時は理解を得る事も可能だろう。
ただし今回のような大災害の場合にはそれも難しかったのだろうな・・・。
避難所全てでこのような事が起った訳ではない、障がいがあっても、地域の方と協力し避難生活を送った人もいたはず。
それでも
「ワークショップひまわり」の利用者さんや施設職員が体験した事は忘れてはいけないし、
同じような事を繰り返さないように・・・被災地からの「声」をきちんと受け止めようと思いました。
研修会のあとは全校保護者&先生による懇親会。真面目な話や不真面目な話に花が咲く・・・。
※
「ワークショップひまわり」のみなさんの今はというと・・・。
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(Click!)(ホームページが見当たらなかったのでJDFの記事です。)
ご訪問ありがとうございました。
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